東京を目指すのではなく、金沢なりの成功を目指す
兼政さんは今回のメイン会場であった石川県立音楽堂の設立に携わったという経験を持ち、同音楽堂への思い入れは強い。「いつかはこの音楽堂を日本一の音楽ホールに」という思いを胸に様々な音楽イベントに行っては「何か活かせるものはないか」と考えていたという。東京で行なわれていたラ・フォル・ジュルネにも自主的に足を運び、レポートをまとめている。兼政さんが今回の仕事を担当したのは必然だったのかもしれない。
仕事の内容はマスコミへのプレスリリースやチケットの販売、使用施設のタイムスケジュールの調整などである。業務の中身は普段とそう変わらないが、絶対に失敗は許されないというプレッシャーが他のイベントとは別ものだったそう。
「今回のイベントは他の都市を差し置いて金沢に誘致できたものです。ナント市と姉妹都市である新潟も有力な候補に挙がっていました。そのため今年失敗すれば、次はないかもしれないという危機感がありました」と兼政さんは語る。
課題となったのが、初めての音楽祭への興味付けだ。東京でも2年間という準備期間にも関わらず、第1回の開催の際にはそこが課題となった。その上、金沢には東京よりも不利な点があった。出演者の数がどうしても多くなってしまうオーケストラは、東京で出演する団体が多いため、スケジュールや移動に掛かるコストの面から何団体も金沢に呼ぶことは難しい。そうなると人気のある、交響曲などのプログラムが少なくなってしまう。これでは、5万人の目標来場者数をクリアすることは困難に思われた。
そこで音楽祭の魅力を発信するため様々な企画を練り、その中のひとつが「伝統芸能とクラシックのコラボレート」だった。今後も金沢で行なう意味を持たせるためには、金沢の特色である伝統芸能を入れ込むことは外せないと兼政さんたちスタッフは考えた。
「でも、この試みには壁があったんです。ルネ・マルタン氏の考えるラ・フォル・ジュルネはあくまでもクラシックの祭典です。伝統芸能を入れ込むことにはとても慎重でした。しかし、再三交渉を行ない、なんとか納得してもらいました。彼はナント市と金沢は同じ城下町ということもあり雰囲気が似ていたので、とても気に入ってましたし、地方都市で開催したいという意思があったようです」。
「金沢を知ってもらう」というコンセプトと、音楽祭の「誰でも気軽にクラシックを楽しめる音楽祭」という趣旨を合わせ、無料公演や0歳からでも入場可能なコンサート、子どもたちが参加できるキッズプログラムの広報にも力をいれた。それによって、ゴールデンウィークに家族で楽しめるイベントとなり、当初伸び悩んでいたチケットの売上も、後半は飛ぶように売れていった。
この間5カ月。短い準備期間にも関わらず、音楽祭は県内、県外問わず大きく中部圏をはじめ、関西圏までをも巻き込む形となり、目標を大きく上回る来場者を迎えることができた。
「石川で生まれ育ったオーケストラ・アンサンブル金沢を中心に、地域の特性を活かした音楽祭を目指したことが目標を達成できた理由だと思います。東京とはまた違った金沢オリジナルのラ・フォル・ジュルネをつくることができたのではないでしょうか。この成功を糧に今後も金沢でラ・フォル・ジュルネを開催していきたいですね」と兼政さんは最後にこう語ってくれた。