様々な分野の第一線で活躍する一流のプロたち。その仕事には、どのような試行錯誤があり、それをどう乗り越えているのだろうか。その道をリードするプロフェッショナルたちの言葉から、仕事の醍醐味、奥深さを感じ取って欲しい。

プロフェッショナルが語る私の仕事道

困難にぶつかっても、
自らが信じる道をまっすぐに突き進む

ルイ・ヴィトンと小物ケースを共同制作

 漆デザインプロデューサーとして、「日常生活の中で普通に使える漆」を企画している桐本泰一氏のもとに、昨年5月、一本の電話が入った。雑誌「SPUR」が企画した「ルイ・ヴィトン」とのコラボレーションの依頼だった。蒔絵絵柄はルイ・ヴィトンマルティエ社が、造形デザインは桐本氏が提案。様々な形を提案した中で決まったのが、六角形の小物ケースだった。

「全く同じものを200個。しかも、難易度が高い六角形。厳しい注文でした。職人たちからは『えらい仕事を決めてきたな』と言われましたね(笑)。8月から制作を開始し、約半年間かかりっきり。その間、落ち着かない日々が続きました。しかし、壁にぶつかる度に全員で話し合い、解決していったことで、職人たちの技術があがり、自信がついたことが大きな成果でした」と桐本氏は、ルイ・ヴィトンとの共同制作を振り返る。小物ケースは、11月に完成し、「ボワット・ラケ・ワジマ」と名付けられた。ヒバ材に漆を塗り重ね、輪島塗の蒔絵技法でルイ・ヴィトンのモノグラムをデザイン。ルイ・ヴィトンの奈良店と金沢店で限定販売され、用意した200個をはるかに上回る注文があったという。

日常生活の中で普通に使える漆」を提案

 「日常生活の中で普通に使える漆」を提案するという桐本さんの現在の仕事のスタンスが決まったのは、大学時代だったという。「大学の講義で、『デザインとは、暮らしの質をより高めるもの』という考え方を学び、自分がやりたいことはこれだ、と。小さい頃から、祖父と父親が働く姿を見て育ち、中学生の頃にはものづくりの仕事に携わりたいと考えていたのですが、この講義がきっかけで、自分の中の漠然とした想いが、『生まれ育った輪島で作られている漆器で暮らしを豊かにするものを作りたい』という、強い意志に変わりました」。

大学を卒業後、就職した会社を2年半で辞め、桐本木工所で4年半、弟子として仕事をこなした。そして、自らの想いを実現するため、2000年に、作品を展示したり、商品を直接販売する場所として、輪島に「ギャラリーわいち」を立ち上げた。「これまでの高級品、普段使いしにくい、という漆のイメージを変え、日常生活で使えるものを提案する。そのためには、今までのような問屋を通じての流通ではなく、企画から制作まで一貫して手掛け、お客さんに直接販売できる場所が必要だったんです」。広報に力を入れたこともあり、「ギャラリーわいち」には、多くのプレス関係者が取材に訪れ、バイヤーからも注目された。

 一見、順調に思えた桐本氏の活動だったが、そこには、大きな壁もあった。「輪島塗は、昔から分業制で作られており、塗師屋が、注文から販売まで仕切っていました。木地屋は塗師屋から注文を受けて、初めて仕事が生まれるんです。しかし、『ギャラリーわいち』を立ち上げて、自ら企画し、直接お客さんに販売した。それも、輪島塗の世界では下請けと捉えられていた木地屋の息子が。それを生意気だと感じる人も多く、それまで来ていた注文がこなくなってしまいました。ただ、予想はしていましたし、自分がやりたいことを叶えるためには仕方がない、と覚悟はしていましたね」。

周囲からの厳しい風当たりに、めげることなく、桐本氏は活動を続ける。昔からの木地屋としての仕事は減ったが、自ら企画し、販売する仕事は増えていった。「とにかく情報発信に力を入れ、一度名刺交換させていただいた方にメルマガを送ったり、プレスリリースを作成するなど、現在どういう方向性で活動をしているか、まめに情報を発信しました。これを継続したことで、新しいつながりができ、そこから新たな仕事が生まれていきました」。

桐本氏の商品に魅力を感じて、少しずつファンが広がり、現在では、日本橋三越店に直営店舗を構える他、各地の工芸ギャラリーや和食器売場で桐本氏の商品が扱われている。 「今後は営業、経営面にも力を入れて、安定して商品を提供し、より多くの人に漆の魅力を知ってもらえるようにしたいですね。昨年は能登半島地震という大きな事件がありましたが、前を向いて走り続けたことでルイ・ヴィトンとの共同制作という実績を残すこともできました。自分が信じる道をまっすぐに突き進んで、これからも新しい道を切り開いていきたいですね」。

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