慣れないMCという仕事。引き受けたのには理由がある
2005年に誕生したプロバスケットボールリーグ・bjリーグ。体育館を使用するインドア競技としては、日本で初めてのプロリーグである。このbjリーグの富山グラウジーズに所属し、育成コーチを務めるのが石橋貴俊さんだ。
石橋さんは日本代表選手としてオリンピック予選に出場し、bjリーグでも同チームが誇るビッグセンターとして活躍していた人気選手。現役引退後の2007年11月からは、アマチュアでプレーを続けながら、同チームの育成コーチとして、高校生や中学生への技術指導や、保育園を選手と共に訪問する「子供と遊ぼ!プロジェクト」などを通して、バスケットボールの普及に務める。他にも、試合中のMC、bjリーグ関連イベントへの参加、解説者として日本バスケット界を盛り上げる役目を担っている。
「引退する以前から選手の指導は行なっていましたし、保育園にも選手時代から訪問していましたので特別な変化ではなかったんです。しかし、慣れないのはMCです。MCは試合前のオープニングイベントの司会から、試合中の解説、富山グラウジーズのブースターたち(観客)の応援の先導が仕事です。そのはずが、初めは選手時代にベンチから叫んでいた言葉をマイクに乗せて喋っているだけでした(笑)」。選手一筋で生きてきた石橋さん。自分なりにブログでアドバイスを募ったり、観客や知り合いからのアドバイスを基に、観客が少しでも楽しめるように、バスケットがさらにメジャーになるように努力しているという。
「もっと沢山の人に見に来てもらって、バスケットの楽しさを肌で感じて欲しいんです。観客動員数はプロスポーツが成立するためにとても大事なこと。そのためにはどんなことでもするから、自分を活かして欲しいと思っていました。MCはその一つなんです」。「bjリーグが発展するために、自分がやれることは何でもやる」。石橋さんが強くそう思うには理由があった。
bjリーグは、日本のバスケット選手たちを救う希望の光
世界では2番目、日本でも野球やサッカーに次ぐ競技人口があり、オリンピック種目の中では最も多い観客動員数を誇るバスケット。しかし、石橋さんを含め、日本のバスケット選手やコーチたちは、これまで「バスケットをする場」を次々と奪われる辛酸を味わってきた。
石橋さんが大学を卒業後に所属したのは日鉱共石(現・ジャパンエナジー)。日本リーグ一部に所属していた名門チームだ。「突然、バスケ部を休部にすると伝えられました。当時の日本は不況の真っ只中で、企業はスポーツにお金を掛けられなかったんです。私たちはその決定には逆らえませんでした」。石橋さんが次に所属したのは大日本印刷。しかし、しばらく後に、そのチームも右に倣う形となった。「企業スポーツの限界を感じました。日本リーグでトップチームを持つ企業であっても、会社自体の業績が悪くなればチームの存続が難しくなる。チームは会社のものですから。でもプロとなれば違います。プロチームというのは地域のものなんです。地域に愛されるチームであれば、スポンサーも沢山ついていただくことができ、チームが存続できます。だから、bjリーグが発足したときは嬉しかった。これでバスケットは変わることができると。僕はもうプロの舞台では、選手としてコートに立つことはないですが、bjリーグを大切に守り、盛り上げていきたいんです。そういう思いがあるので、日本のバスケットのためと言われれば、僕は何でもやるんです」と石橋さん。
アマチュアスポーツでしかなかったバスケットの時代を生きた者として、後進の選手たちには、より良い舞台を作ってあげたい、そして残していきたいという石橋さん。最後に、これからのbjリーグについて語ってくれた。「やはり、子供たちの夢の舞台であって欲しいです。『将来bjリーグに入りたい』と思ってもらえるような。そのためには外人選手ではなく日本の選手たちが活躍することが条件。『外人じゃないとバスケットは上手くなれないんだ』と思われては逆効果ですから。バスケットを始める子供が増え、競技人口が増えれば、自然とbjリーグはもっと盛り上がります。そのために、『子供と遊ぼ!プロジェクト』の講師としても、バスケットに興味を持ってくれる子供を増やしていきたいですね」。