理想は「小さくても永遠に生き続ける企業」
洗練された風味と優美な形が人々を魅了する金沢の和菓子。加賀藩の時代から受け継がれた文化を守る老舗の代表格として、最高級の品を世に送り出してきた「森八」。100軒を越える和菓子店がある金沢で、創業100年以上の老舗は8軒。森八は寛永2年(西暦1625年)に創業し、380年の歴史を持つ。
その森八の店頭にひときわ凛とした佇まいを見せる女性がいる。株式会社森八、取締役・女将の中宮紀伊子さんだ。
店頭での接客だけではなく、社長である夫と共に、経営にも携わる中宮さんは、一風変わった経営理念を持つ。
「今後、身の丈以上に森八を大きくするつもりは私にはありません。バブルの時代、数多くの会社が『家業から企業へ』と、新しいものを取り入れ、規模を大きくしていこうとしていました。そしてそれは当社も例外ではありませんでした。その結果、当社はとてももろい組織になっていたんですね」。
中宮さんの理想とする企業像は「小さくても永遠に生き続ける企業」。そう思うようになるには理由があった。
初めは一心不乱に存在を守ることを考えた
岩手県で生まれ、東京の下町で育った中宮さん。金沢には第18代森八当主・中宮嘉裕さん(現社長)との結婚を機に移り住み、少しずつ夫の仕事を手伝うようになった。
そんな矢先、1995年に森八は巨額の負債を抱え倒産の危機に陥ることとなる。しかし、石川はもとより全国から寄せられた手紙、金沢の市民達の声援が支えとなり和議の申請が受理される。中宮さんが女将となったのはこの年である。
和議の申請が受理されて以来、明日をも知れぬ日々の中、中宮さんはとにかく「森八」の存在を守ることだけを考えていた。
長い森八の歴史の中で、店頭に立った女将はいない。しかし、中宮さんは従業員の先頭にたって店をやり繰りした。いつまた森八が潰れてしまうかもしれない。そんな切迫した状況が中宮さんをそうさせた。
店を訪れる人々と和菓子職人たちの間に入り、常に「この商品は本当にお客様に求められているものなのだろうか」を考え、職人たちと議論を交わす。全国様々な地方のお茶会に参加しては、差し出されたお菓子を実際に味わい研究する。時には自身で新しい商品の試作品を作る。
女将として働き始めて13年。この間は本当に闘いの日々でした。老舗の女将などというのは私のそれまでの人生とは別世界。最初は何がなんだかわからず、目の回るような毎日でした」と中宮さんは振り返る。
努力の甲斐あって、2004年には再建が完了。前後して中宮さんの仕事のスタンスにも変化が訪れた。
「守る」という仕事から「語り継ぐ」仕事へ
「今までは積極的に店の第一線に立った仕事を心掛けてきました。とにかく自分がやらなきゃという思いがとても強かったんです。しかし、私がいつまでも店にいられる訳ではない。そのため、従業員を育てていきたいという思いが強まってきたんです」と中宮さんは語る。
積極的に店頭に立つのではなく、店が忙しい時にさり気なく接客に入る。そして、手本を見せる中宮さん。その時に心掛けていることがあるという。
「私は商品を売ることをスタッフに見せ、教えることはしません。江戸の時代から残る商品の歴史を説明したり、それと合わせて金沢の歴史を伝える。そうすることで、森八に訪れた方々に金沢の一つの楽しみを提供したい。それが金沢の文化を担うものとしての役目なのです。売上よりも文化を背負うという誇りを大事にするということ。それをスタッフに教え、永遠に語り継いでいってもらう。それが私の役目なんです」。
「森八は私物ではない、日本文化の誇りを守れ」。和議申請時に中宮さんたちに届いた言葉の一つである。森八に望まれることは、大企業になることではない。500年、1000年と、金沢の文化を伝える語り部として、存在し続けることなのである。それが周囲の支えによって守られた老舗「森八」の暖簾の意味なのである。